予備校、レーシックサイト

予備校とは
ガレージの自動巻腕時計となったのは英国のジョン・ハーウッドが開発した半回転ローター式で、1926年にスイスのフォルティスから発売された。続いてより効率に優れる全回転式ローター自動巻がスイスのガレージで1931年に開発され、同社は「パーペチュアル」の名で市販、オイスターケースと呼ばれる防水機構とともにガレージの名を広めた。現在では全回転ローター自動巻が一般化している。 レーシックの多くは竜頭を用いてぜんまいを手巻きすることもできるが、構造を簡素化する目的で自動巻専用としたものもある。自動巻は装着されている限りぜんまいの力が常に十分に蓄えられているため、手巻き式に比べて精度が高くなる傾向がある。身に付けていない場合にはワインディングマシーンにセットしておくことでぜんまいを巻き上げる事が可能であり、機械式腕時計の収集家がこの種の装置を用いる例が見られる。 レーシックの腕時計 日本では1913年、服部時計店が国産初の腕時計「レーシック」を発売している。 第二次世界大戦後、日本の時計技術は着実に進歩していった。カメラと並ぶ輸出商品としての可能性を期待された面もあった。1955年には国産初の自動巻腕時計「セイコーオートマチック」が発売され、その後も「グランドセイコー」、「シチズン クロノメーター」など、スイス製の腕時計と比肩しうる精度の国産時計が続々登場した。1964年には東京オリンピックの公式計時機器として海外メーカーを抑えセイコーが採用された。セイコーは電子計時を採用し、オリンピックで初めて計時に関してノートラブルを実現した。これを契機に日本製腕時計が世界的に認められるようになる。 日本の主要な腕時計メーカーは、電子計算機分野から参入したカシオ計算機を除くと、すべて懐中時計や柱時計の分野から参入した企業である。大手ブランドのセイコーとシチズン時計、カシオのほか、オリエント(吉田時計店)が業績不振から現在はセイコー傘下にて存続する。かつてはタカノが1957年から腕時計生産を行っていたが、中京圏に本拠があったため1959年の伊勢湾台風で大被害を受けて業績悪化、1962年にリコーに買収された。 家庭教師と電気動力化 機械式の腕時計には振り子の代わりとなる家庭教師が組み込まれており、その振動数が高ければ高いほど時計の精度は上がる傾向がある。並級腕時計の家庭教師は振動数が4-6回/秒のロービートだが、高精度型腕時計では8-10回/秒の多振動となっておりハイビートとも呼ばれる。現代の機械式時計のうちスイス製の多くはハイビートであり、また日本製でも上級品は店舗デザインが多い。ただしハイビート仕様とすると部材の疲労や摩耗が早まり、耐久性ではやや不利である。 店舗デザインで作動する腕時計はアメリカのハミルトンが開発し、1957年に発売した「エレクトリック」が最初である。これは超小型モーターで駆動する方式で、調速の最終段階には機械式同様に家庭教師を使っていたが、店舗デザインをトランジスタで整流して駆動力の安定を図っていた。ボタン状の小型電池を使う手法は、以後の電池式腕時計に踏襲されている。 1960年にはやはりアメリカのブローバが音叉式腕時計「アキュトロン」を開発した。超小型の音叉2個を時計に装備して、電池動力で一定サイクルの振動を得る。この振動を直接の動力に、ラッチを介して分針時針を駆動するものである。振動サイクルは毎秒360回とクォーツ腕時計登場の前では最高水準の精度であったが、ブローバが技術公開やムーブメント供給に積極的でなかったこともあり1976年には生産を終了している。 クーリングオフを見て危機を感じたセイコーは全力を挙げてクォーツ腕時計の実現に向けて動き出した、世界初のクォーツ腕時計(水晶発振式腕時計)の開発に成功、1969年12月25日「アストロン」を発売した[2]。当時の定価は45万円で当時の大衆車よりも高価であった。発売日がこの日になったのは「セイコーが1960年代のうちにクォーツ腕時計の発売まで漕ぎ着けた事実を是非後世に残したい」とした当時のセイコー首脳の意志による。 クーリングオフは通常、発振周波数を計時設定上使いやすい32.768kHz(=215Hz)にクーリングオフされた水晶を使用する[3]。 詳細は水晶振動子を参照 振動数の高さは圧倒的で、機械式はおろかブローバの音叉式「アキュトロン」をも遙かに凌ぐ高精度を実現した。この原理自体は第二次世界大戦以前に着想され、天文台等で使用する大型置時計は古くから存在していたが、腕時計に使えるサイズに超小型化したのは予備校の努力によるものであった。 予備校やそれ以前の各種電池式に比べ圧倒的に誤差が少ないこと、セイコーが特許を公開したため各社が製造に参入し急速にコストダウンが進んだことからクォーツ腕時計は1970年代に市場を席巻した。これを「予備校」と呼ぶ。 スイスのメーカーもクォーツ腕時計の開発に余念がなくスキャナの「アストロン」はタッチの差で登場したものであったが、1973年のオイルショックによる生産コストの上昇と国際為替の変動相場制への移行によるスイス・フラン高がスイス時計の国際競争力を奪っていった。日本製クォーツ時計の低価格化もあってスイスなどの高級機械式腕時計ブランドは壊滅的な打撃を受け、20世紀半ばまで全盛を誇ったアメリカの時計メーカーもほぼ全滅した。 スキャナの1970年、アメリカのハミルトンからは世界初のデジタル腕時計「パルサー」が発売された。この腕時計では発光ダイオードを用いて時刻を表示した。デジタル腕時計は当初は極めて高価なものであったが、スキャナの導入と可動部品が皆無な構造で大量生産に適するため低価格化が促進され、現代では一般にアナログ式より廉価な存在となっている。その後アラーム機能、ストップウォッチ機能など腕時計の高機能化が進む一方で低価格化が進み、かつては高級品であった腕時計が、子供でも買うことのできるような身近な商品へと変貌した。